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15周年企画 エアロのひみつ Vol.2

ストリートライブ。それはなかなか過酷なものでした、今思うと。www



でも始まりは単純明快で、ライブハウスにお客さんをガンガン呼びいれよう!的な発想で始めました。
学生時代のサークルから余り物機材と自前の発電機を使って、大阪駅前の大陸橋の上で今と変わらぬ爆音を鳴らしました。真後ろには電車が走るシチュエーション。
自分たちだけじゃ面白くないんでCRAM-BOというバンドと毎週金曜日、4年か5年くらい欠かさずやりましたね。まあストリートライブやるんなら新しい音源つくりましょーかと、「夕凪」っていうデモテープを作りのぞんだわけなんですが、初めてやったその日からわんさか人が集まっていただきまして、30本くらい持っていった売り物が完売!
笑いがとまらない!!
こんなに受け入れられるものかと。調子にのって次の週には50本くらい持っていきました。だいたい毎週30本くらい空のテープを日本橋に買いに行ったねー、北出さん!









そこからは汗が止まらないくらい暑い日も、指が全く動かなくなる寒い日も休まず毎週毎週毎週毎週・・・・・・・・やりつづけました。楽しいことは楽しかったんだけど、自分たちの体に、来てくれるお客さんに、ここに来れば必ずいるってことを定着させることに執着してたのかな。










((ちなみにCRAM-BOというバンドのボーカルギター小野ダイスケはうちの北出が20才くらいのときに「スパイス」というバンドを組んでた人で、かなりの狂人。笑える意味で。いや、人間として尊敬してますよ。
初めて会って打ち合わせをしたファミレスで、「これちょっと見てくれん?」と言って素晴らしいマジックを披露しだしたフラメンコギターリスト。素敵すぎっ!!)

そしてその間に警察の方々にも何度かお世話になりまして、今では大阪駅前のその陸橋の目の前に交番ができたらしいです。


ストリートツアー!なるもの、ただ単に遠足したいだけ?も定期的にやりました。
京都三条河原では名物の等間隔カップルの間に入って爆音を出しましたし、姫路の駅前ではメチャメチャ無視されましたし、奈良公園では鹿を相手にライブしましたし、京都駅前では2秒で警備員に止められましたし、神戸の三宮駅前ではplaneと一緒にやったなぁ。そうそう、あまりにも人がたくさん集まってくれるので、東京から来たバンドにも「そんならストリートもやれば?」みたいな感じで一緒にやりました。そのころの仲間は今でもつながってるから面白いですね。



@奈良公園




@三宮おっぱい山公園



そうした地道な活動と呼応して、東京の事務所さんにお世話になった時期でもありました。
配りに配ったデモテープにレスポンスいただいて、ギャラクティカマグナムの1st album「Automeal」、そして2nd album「」を発売しました。聞いたことない人は絶対聞いてください。アマゾンか中古CD屋くらいにはあると思います。
とにかくこの頃、バンドにとってかなりの激動バブル時期でしたね、笑えるくらい、メジャーにもいってないのに。



年齢はすでにこの頃27か28才くらいになってたでしょうか?
うまくいけばこのあたりでメジャー街道まっしぐら!だったんですかね?


でもオレの心の中には違った思いが生まれてきてました。オレの歌はニセモノだ。ほんまもん歌いたい。歌いたい。今頃思ってどうすんねん?でも歌いたい。よし、そーいう歌をつくろう。今から。そしてほんまもん歌うにはほんもんの音を出すバンドを探して友達になろう。ほんまもんを知らなければほんまもんにはなるまい、勝てるまい。もうメジャーとかインディーとか関係あるかい。カッコイイ音出すやつらにそんなもん関係ない。オレは何がやりたいんや?ロックだ。こうなったらいくしかない。オレの歌詞がわかりにくい?知るかボケ、お前が不感症なんじゃ。オレは何でも言葉にするぞ、給料もらってるわけやないしな。プロっぽいライブしろ?7割くらいの力でライブしろ?サングラスかけろ?笑わないで歌え?ミスチルみたいな歌詞かけ?とにかくいらないものは全部捨てよう、ここからは音楽しよう、ロックしよう。バカになろう、ピエロになろう。本当の歌を歌う凡人になろう。オレは特別じゃない。これといって特徴もない普通の人で、オレが思うことは誰もが思う。そこにオレが歌う意味がある。そのためにオレはロックしたい。自由自在にロックだ。何小節目がどうでとかどうでもいい。とにかく、とにかく・・・・・・



はい、aeronautsの誕生です



オレ的内面旅行はそれぐらいにしといて、そういう訳でカッコイイバンドを探しに大阪中のライブハウスに通いました。今までの関わってきたところとは別世界のシーンてやつですね。そこで人生のアニキたちに出会うわけです。そう、HAPPY UNDER RIVERとジャカランタンです。aeronautsフリークならもう説明いりませんよね。オレもしません。この人達に出会って確実に人生壊れました。いや、変わりました。初めてH.U.Rのライブ見たことは未だに覚えてます。大阪扇町DICE(今はパラダイス)って小さなライブハウスでパンパンに人が入ってたから全然バンドは見えなかったけど、そのサウンドにオレの体がフワッと浮きその刹那大きな金槌でバーンと殴られたような感動。あれは衝撃でした。後にも先にもありません、そんな事は。

その後、自分らのイベントに出演してもらった時には、リハーサルから楽屋、本番まで片時も離れなかったです。もうただのいちファンですね。それも一番近いところに陣取れるファンです。すいません。
特にH.U.Rと一緒に行った九州ツアーは語り草です。夜通し車を走らせて北九州に入ってサウナに泊まった時のこと、うちの北出が金目のものを全部すられた、盗難にあったのです!その時北出はそのサウナの定番アロハシャツ、半パンのいでたちで顔面真っ青にしながら「大丈夫、大丈夫」とオレらにか細い声で言いました。その北出は一生忘れることはないでしょう。その後、リハーサルと本番の合間に警察に行って盗難届けを出した帰り道、何かの糸がブチンと切れたのか、脳みそがひっくり返ったのか、「アハハ、チンコたってる、アハハ」、絶句です。そしてその日の黒崎マーカスのライブはかなりゴイスーなドラミングだったことは言うまでもありません。






With Happy Under River



あ、黒崎マーカスに呼んでくれたのはaeronautsの盟友バッファローデンチでした。こいつらもスゲーいいバンドで、初めて福岡でライブした時に対バンしたんだけどその時ドラマーのマッチャンは骨折しててアコースティックだったんだよね。でもいー歌うたうバンドで、結局打ち上げはバッファローとエアロだけで(fuzz picksもライブにはいたが)、かなり楽しい打ち上げでした。その打ち上げでオレは何人かいた博多っ子ギャルのうちで個人的タイプではないポッチャリな子の相手をしたんだけど、その子が数年後に会った時に激痩せしてものすごい美人になってたのは後の祭りでした。(もう人妻でした)


そういう感じで活動すると必然的に出演するライブハウスも変わるようになりました。そうです、やっぱり十三FANDANGOですね。ここしか考えられませんでした。いつだったかFANDANGOでのライブの時、ライブ直前池ポンの乗ってきたバイク(愛車SR)が車にふみつぶされてバッキバキに破壊されたことがありましたねぇ。うーん、十三っぽい。その日の池ポンもかなりゴイスーなステージングだったような・・・。まあそんなワイルドな土地にあるライブハウスなんですね。


そうこうしてるうちにオレら30才になろうとしてました。まだ売れないなー、まだ売れんかなー?とか思ってるうちに。仕事この頃オレはガソリンスタンド、リーダーはガテン系、北出はROUND1、池ポンはエロビデオ屋。さーて、人生どーしようか?何が面白いんかなー?って考えてたのですね。
それならさー!!!???


怒涛の最終章に続く・・・




 文 Gendai       
校正 Morikawa
| 管理人さん | 00:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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