Entry : main   << >>
15周年企画 エアロのひみつ Vol.1

どーもこんにちは、ゲンダイです。気づけばもう2011年ですよ。
今年はaeronautsが結成されて
15年目になるんですね。
いや、本当にビックリです。普段まったく過去を振り向かない男達なので、
そんなに長くやってきてたんだわ、あら、どーしましょ?ってな感じになっております。そんなに長いことやってきたんならここら辺で、まあ15年もやってりゃなんかたくさんネタあるんでしょ?ってことで
笑える感じで過去を流出させてしおうみたいなことをやりますね。ま、笑えりゃいーんですけどね。笑えないとツライ・・・。これから何回かにわたって皆様に愛され続けてきたaeronautsの物語を、それぞれの片手間に楽しんでください。



モリカワ氏のaeronauts年表によると1996年結成となってますね。
記憶は定かではないのですが大阪はアメリカ村のSUNHALLというライブハウスに初ブッキングを頼みに行った時、実はこの時点ではまだバンド名は決まってなかったんすよね。
だからオレが強引に適当に「ギャラクティカマグナム」でって一言で決まってしまいました。わはは。
まーそこからギャラクティカはライブに次ぐライブですよ。
前述のライブハウス、SUNHALLを中心にアホみたいにライブばっかやってました。
そー言えば厳密にいうとメンバーは実は一度だけ変わったんだったね。
bassが身長190ほどもある大男前・ミチタロウ(The Turtles)でした。
彼は二回だけライブをやった後「オレメジャーんなるから東京いくわ」という一言を残してバンドを去っていきました。その時の残されたオレら3人は「行ってらっさーい、オレら東京行ったら泊めてねー」と鳥山アキラ調のアホみたいな笑顔で送り出しました。ミチタロウとの思い出といえばやっぱり二回目のライブの楽屋、出番前に「あんまりオレの彼女イジめんといてや」と、北出と二人ありがたい説教をされたことです。それぐらいかな?でもその後オレらが東京によくライブ行くようになると本当に4人まとめて彼の高井戸の環八沿いの狭い1Kの部屋にたーくさん泊めてもらったんだよ。本当にイイやつなんです。泊まったついでに服もいっぱいもらって本当にありがとーん。


池ポンがメンバーになってバンドはやっぱり活気づきました。
最初「オレホンマに入れてもらえるのん?」とか言ってたような気がします。この頃のバンドのフライヤーは池ポンの書いたイラストでした。
フライヤーといえば、この頃行ったバイク旅行で宮城県は仙台・松島の看板の前で撮った池ポンの写真が最高にいい顔してたのでモリカワくんがその顔を編集、池ポンクーポンってのを作ってフライヤーの端っこにのっけてたなー。
3枚集めれば次のライブ無料!みたいな。


これのことですかね?


そしてギャラクティカの前半期を語るのに忘れてはならないのがこのころ作った「Highwayにのって」っていう曲ですね。
本当にキーが高い曲でしんどかったです、いやマジで。
でもこの曲で受けるコンテスト、オーディション、ズコズコ受かりましたモンね。はじめて自慢。
相当関西では評判していただきまして、ヤマハのコンテストでは浜松の豪勢なホテルに泊めていただきまして、そして審査員特別賞的な頑張ったで賞的な感じで高価なキーボードを頂いたりしまして、
後日そのキーボードをモリカワくんはどこぞに売り払ってバンド運営費にしていました。本当にありがとうございまして。





アメコミ調×中華風

そしてこの頃、関西の名だたるバンド達のメジャーへの登竜門だった「JUNGLE LIFE」のコンピレーションCDにこの曲で参加できたんですよね。ま、オレらにはバンド人生の羅生門だったわけですが。
この時にJUNGLEの社長・平井さん(現在はPJと周りに呼ばせている。パパ・ジャングルの意味らしい)に出会うわけです。出会ってしまうわけです。そのレコ発イベントで気合い入りまくりのオレらに司会の平井さんは「この子たちはいい子たちなんです!!」と紹介。全然カッコつきませんでした。
ミスターハイテンション平井さんには今でもお世話になっています。いい社長さんですね。

そういえばライブハウスでライブをやりながら、今はなき吉本興業の2丁目劇場にも出演してました。
今、東京でいえばルミネみたいなとこでしょうか?お笑いライブの合間にバンドがちょこっとライブするというような意味のわからんところに出てました。今テレビをつけたら必ず出てる芸人さんたちが若手として頑張ってました。週に2回か多いときで3回くらい出てたような気がします。機材車をNGKに停めてそこから少し離れた2丁目劇場まで、ミナミの繁華街のなかを楽器を台車に乗せてトロトロ歩きました。楽しいけどちょっぴり切ない感じがします。そのバンド担当のディレクターのなんとかいうおっさんがとんでその企画はなくなったような・・・





あ!この曲で(どの曲やねん、あ、Highwayに何とかね)で東京にも呼ばれたんですよ!しかも初めての!渋谷のタワレコのライブスペースで演奏しました。かなり物見遊山だったような気がします。この時機材車なんやったやろ?スカイライン?思い出せんな。タワレコでのことはあんまり覚えてませんが帰りに出来たばかりの新宿都庁を見にいったことは覚えています。あれ、タートルズのライブを見に新宿パワーステーション行ったのってこの時やっけ?どうやったかな、モリカワくーん!?
よくわかんないけど、パワーステーションではタートルズのLiveは間にあわずローリー寺西氏のLiveをタダで見れてホクホクでした。


とこの頃から東京を意識したバンドの動きになっていきました。
記憶に残ってるのは「月ガ微笑ムカラ」「夕凪」「scarecrow」とかいう曲をガンガン作ってたときかな?ちょうど北出が就職一年生(ま、一年で辞めさせた)。それでも週2のスタジオ!今考えると北出にとって拷問!北出が住んでたのは京都の実家だったのでそのうち一回は京都まで行ってリハーサル。大阪から1時間以上かけて3人で行ってたなあ、けっこう楽しかったなあ。
その頃大阪でのスタジオは出戸ABBY STUDIOってところですぐ隣にパンセホールってライブハウスがあった。まあ、オレから言わせてもらうと、オレの住んでたマンションからそのスタジオまではいつも道路が渋滞してていつも一時間くらいかかるのね。今じゃ考えられないくらい遠かった。でも音楽以外は生活的にヒマヒマだったんかな、全然平気やったもんな。

そのスタジオの店長が池ポンに8回くらい輪をかけたゴリラさんで、オレは初めて聞いた言葉を「ウホッ」って聞き間違えたくらいです。最初はスンゲーとっつきにくい人だったんですけど、一度そこでレコーディングしてからというものめちゃめちゃ仲良くなりました。うちの音楽を理解してくれたのでしょうか?それからはいろいろ融通きいてくれて本当に助かりました。
ミニマム的な思い出といえば、そのスタジオに行くとかなりの割合でそのスタジオの前にあったミスタードーナツを買っていたということです。一生分くらい食べました。






全然東京を意識してない文章になってきましたね。構いませんか。でもこの頃はオレとモリカワくんで深夜曲作り、そしてスタジオ、の毎日でした。あ、昼はバイトね。
曲作りしてた深夜の思い出といえば当時モリカワくんがやってた家庭教師の教え子(小学生)から修理してやるとの名目で持ち帰ったラジコンを、煮詰まった曲作りの休憩で近くの公園でブンブン走らせたこと。当時モリカワくんが飼ってた雌猫の「組長」のサカリに曲作りを中断させられたこと。
まだまだ話は尽きないですが、皆さんが飽きてこないうちにそろそろaeronauts(当時はギャラクティカ〜)の次の段階、関西快進撃的な話を進めましょう。



2011.1月某日 JUNGLE LIFE PJからのコメント

「やっぱり今の時代はギャラクティカマグナムでしょう!?
      でもaeronautsもね(笑)
 継続は力なり。美しい男のROCKですな」







文 Gendai

校正 Morikawa

| 管理人さん | 22:30 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | 22:30 | - | - | - | - |
Comment
やっと見つけた&#8252;
ギャラクティカマグナムさん、メッチャ懐かしいー&#10036;
私は一度だけギャラクティカマグナムさんのライブを観たことがあります&#8252;
カッコよかった〜&#128077;
北出くんが東京行くってなった時は、ホンマに寂しかった&#128557;
16、7年前やけど、当時北出くんとはバイト仲間でした&#128518;
当時と全然変わらないメンバーさんの姿を見て、切ないやらホッとしたやら・・・なんか複雑怪奇な心境になっております&#128563;
頑張って下さいね&#128074;&#128518;&#127925;
Posted by: ごとう | at: 2015/08/14 11:18 PM







Trackback


aero-web